04-06-10

GRETA回顧録:2004年6月、フランス公認通訳・ガイド学校、孤軍奮闘記

1. 昨年、37年間のサラリーマン生活に区切りをつけ、再渡仏したのは2002年5月だった。有意義で生甲斐のある第二の人生を目指し、実行に移してしまったが、無謀な決断とも言える。

2. とりあえず、身元引き受け人として、1974―1981年初回渡仏当時以来の友人であるミッシェル・ジュリエ氏が、自分の会社に、日本の旅行会社の駐在員として受け入れてくれた。

3. 渡航前2001年9月、彼と新規事業を計画し、フィージビリティスタディを始めた途端、例の9月11日WTCテロ事件が発生し、何もかもが吹っ飛んでしまった。
しかし、永年の経験で、どんな大事件でも数ヶ月経つと、過去のものになってしまうという確信を持っていたので、予定通り実行することにした。

4. 2002年5月渡仏、前回住んでいたサンジェルマン・アンレにアパートを見つけ、到着後のカラッとして涼しい春・夏は新居の整備に精を出した。
 TVに写る仏女性がなんとまぶしく、美しく見えたことか、それから5年経った現在、大して感動しなくなったということは、冷静に物事を見る目が出来てきたということか。

5. とりあえず、旅行業に関心を持つ者の端くれとして、当地の中堅旅行会社に見習いとして、パリのオペラの一等地に通勤する傍ら、週3回、月・水・木、5:30―8:30、GRETA TOP FORMATION(仮訳:フランス通訳・ガイド公立専門学校)に通うことにした。以下、その孤軍奮闘記である。

6. ルーブルとかベルサイユ等の限られた美術館・博物館で、正式に旅行者を案内できる国家認定ガイドは国家試験にパスし、その認定資格を持つことが義務付けられている。
 GRETAはそのための2年制の通訳・ガイドの準備養成機関である。国家試験は国籍を問わず、仏語でおこなわれる実地・口答試験がある(内容は年によって若干変わる)。悲劇の幕はここから切って落とされた。

7. 学校は18区のポルト・クリッシーにある国立学校の校舎を使って、毎年数十人の生徒が入学を許可される。
 入学許可は大変な難関だと聞いていたので、2年生の先輩日本女性に連れられてGRETAの教務課へ出向いた際、昔の営業経験を生かしショコラの手土産を持参したら、一発で許可された。勿論、入学許可は大変なことには変わりない。


***学生証、必需品のテレコ、2年進級準備用録音・筆記原稿 


8. まず入学許可条件として、旅行者に話す仏語力、授業を理解するヒヤリング・読解力が要求される。今の実力はとてもそのレベルには及ばない。クラス60人の生徒のうち、
フランス48人、後はドイツ、スイス、アメリカ、ロシア、トルコ、中国、台湾、韓国、そして日本が3名、社長秘書、長期駐在員夫人と私であった。


***クラスメート60人の名簿 


9. クラスメートは皆親切ではあるが、生存競争に勝つために、生きるために、仕事を見つけるために、目の色を変えて頑張っている。もうその真剣さで競争に負けたと感じた。
 日本人間とて同じで、我が同胞に"これ教えて?"と気軽に頼んだら、"今回だけよ、次回はお断り"の但し書きの付いた回答が来た。こんなことで腹を立てるようでは失格、とてもフランスでは生きて行けないことを悟った。

10. 級友の中でも、無職のフランス人青年ヴァンサン、夫人がフランス人の退役アメリカ人トムとは、すぐ仲良くなって、いつも最善列に並んで座るようになった。
 ところが、ふたりともスラスラと教授の言うことをメモするのに、こちらはチンプンカンプン、恰好をつけるためにわかったふりして書いたノートを後で見ても自分で何書いたかさっぱりわからない。

11. ここで威力を発揮したのが、日本の誇る有名メーカのテープレコーダと某専門メーカの超高性能マイクであった。

4人の教授が交代で教えてくれる。


 ムッシュー・ボレ:観光学、都市工学一般 ***資料と記録ノート


 マダム・マセ:古代から近代までの歴史・芸術 ***資料と記録ノート


 マダム・ブラン:ガイド実学 ***資料と記録ノート


 マダム・クーロン:憲法、法律、政治、経済 ***資料と記録ノート

 この中で、教授の中には講義の録音を嫌がる人もいた。しかし生徒の中には必要やむにやまれず、密かに文明の利器を使うものが何人かいた。机の下やカバンの中に入れても、裏・表でテープが止まるとき、"カチャ"と金属音がし、何回も冷や汗をかいたことがあるといっていた。。

 幸い、神様も見方してくれたか、教授陣も同情してくれたか、咎められる人もなく、全講義録を完成することができた。欠席の時は韓国女性のテープを借りたり、また、これが卒業時にフランス女性とインターネット写真付全講義録を交換するのに役立ったり貴重なものとなった。


***両面録音テープ80本はケースの中に厳重保管


12.毎週3日間でも夜8時半まではかなりきつい。特に冬場は授業開始の6時には真っ暗で寒く、授業終了にベルと同時にバス・メトロ・RERの駅まで数百mを走らされた。 さもないと、9時11分の最終バスに乗れなくなり、30分極寒の夜道を歩くことになる。
そのうち、"ナベット"という小型周遊乗り合いバスが深夜まで運行していることを見つけて助かった。

13. 一年間の講義時間140h、実地見学40hで前述2教授の遠足は楽しかった。ここでは、教授が我々ガイドの見習い生に実際のガイドをしてくれて、周りの入場者から、一体どこの団体かといぶかしがられたことも良くあった。

遠足一覧表:
 マダム・ブラン:レアール、マレー、モンマルトル、フォンテンブロー、ベルサイユ、
 マダム・マセ:ルーブル、オルセー、ルエイュマルメゾン


* **フォンテンブロー遠足、遠足時は録音解禁、教授はマイクに囲まれる

14. 一年間の授業料は700ユーロで遠足の交通費は自弁だが、入場料はすべて無料だった。この学生証を見せれば、どこの美術館や博物館も学生として無料になり、大変優遇されていることを実感した。子供、老人、学生等貧者に対して社会福祉制度は非常に発達している。

15. 3月中旬の春休み前に中間試験がある。
 以前にも、本サイトの"サンジェルマンアンレ便り"欄で簡単に触れたことがあるが、クラス全員60人が教授陣5人と大型観光バスに乗り込み、オペラ前から出発する。行く先は秘密、ルートも秘密、くるくると方向が変わり、5分後とに生徒が指名され、観光ガイドをフランス語でおこなう。
 勿論、運・不運はあり、有名なところは優しいが、何もないところは"今、xx通りを通過中です"と通りの標識を見て繰り返すことになる。

16. いつ当るか楽しみに?待っていたが(じつは内心ドキドキしながら)、正午になってバスはルーブル美術館の地下駐車場に入っていった。
 これで午前はおしまいかと気を抜いたら、"ムッシュー・シルブプレ"ときた。途端にカーッとしてしまったが、ルーブルの歴史、展示場、その画家達の名前の覚えている単語を全部並べたが、それでもまだ時間が余って困っていると、教授がそれとなく、"ビラミッド"はどうなの?と助け舟を出してくれた。

 そこで、昔、この地下ホールに世界最初の螺旋型エスカレータを売り込んだが失敗した話などしたら、皆珍しがり、教授の採点も"悪くない(=合格すれすれ)"で辛うじてパスした。

17 .2年生進級実地試験は再度6月中旬におこなわれた。
 前回は予備試験だが、今回は半分は落とされる過酷な本試験だ。緊張のあまり、当日はどこから出発したが思い出せないほどだ。覚えているのは、午後最後の発表者近くになって、エッフェル塔からアンバリッドに来てからである。

 どういうわけか、前発表者が一通り説明し終わって、"駐車場で2分停止します"というときにお鉢が廻ってきた。前発表者との重複は避けねばならぬので、最後は取って置きのエピソード"アンバリッドの尖塔の金箔は7kgでテニスコート19面を貼れます"などと頑張ったがどうしても時間が余る。

18. 窮余の一策で、こういうときに用意した材料のなかから、歴史年表・クロノロジーを説明した。


***フランス各年代・王朝・史実年表、世話になったお礼に級友全員に進呈した


 いろいろな話を聞くとき、その時代・背景、外国との比較をすると大変興味深くまた理解しやいと言う理由で、フランス歴代王朝の年代、王様、様式、出来事など、とうとうと始めた。教授陣も"もううんざり"と言わんばかりに、"それでよい"と放免してくれた。

19. 一週間後、進級合格者の氏名が学校正門の道路に面したところに張り出され、誰でも見ることができる習慣だ。各生徒の右欄に"OUI"と"NON"が明確に書かれていて、最後に自分の名前に右に"NON"と見つけた。
 仏人も半分以上落ちているし、ロシア・トルコ・日本紳士仲良し3人組も首を揃えて討ち死にしていた。しかし、ここで諦めてはいけない。またしても、次の秘策を考えた。

20. 試験には運・不運がある。また外国人には言葉のハンディがある。
 不合格は恥ずかしいことではないが、そこには触れずに、試験準備用に作成した48箇所の名所・旧跡のガイド原稿(新聞記事と同様に5W1Hの定則あり、コピーは1cmもの厚さになった)に請願書(もし、退校になると強制帰国になるので勉強を続けさせて欲しい)をつけて、教務課へ乗り込んだ。

 天は見放さず、交代したばかりの新任担当青年は気の毒がって、進級審議の教授会で随分応援演説をしてくれたらしい。お陰でその熱意が認められて、合格者リストの最終者として追加され、新年度の2年生授業に顔を出すと、全員から"どうやって合格したの?"と尊敬と畏敬の念を持って祝福された。

21. 2年生の授業は一段と難しく、厳しくなってきた。とても、復習なしでは付いてゆけない。おまけに憲法、政治、経済などの授業が入ってきたが、これはむしろ、若干の基礎があるので助かった。


***2年間の講義録ファイル7冊、緑色のマーク。またの日に読むことが楽しみ。


22. 2004年6月中旬に3度目の卒業試験がやってきた。しかし、これは苦手の実地テストでなく、自分の選んだ街・都市についての研究発表をするものだ。こういうプレゼンテーションは何十年もやっているのでお手のものだ。

 地元、サンジェルマン・アンレを選び、お得意のカラースライド、説明いりでストーリーを興味深く作成した。(このときの作成資料は本サイトの"サンジュルマンアンレを満喫"を参照ください)。発表を終えると予想以上の大きな拍手で、なんだか、一気に劣等生から優等生になったような錯覚を起こしてしまった。


23.あとがき
 パリには約200人の日本人公認通訳・ガイドがいるが、すでに高齢化し、現役は数十人とのこと。一方、フランス全体では、公認観光ガイドは余っていて、現在の失業問題の一因となっている。このため、新規の公認通訳・ガイド試験は2004年から中止され、その後も再開されていない。

 ちなみに最近の統計では、全観光客数: フランス全土・73百万人、パリ26百万人
そのうち、日本人観光客数:フランス全土・ 1百万人、 パリ66万人である。