05−06−05 印象派絵画とルイ王朝文化の現場探索巡り


  (地図上の青色の番号は、下記記載の印象派絵画・史跡の現場を示す)


 パリの西約20km圏は、北はモンモランシー、西はサンジェルマンアンレ、南はル ーヴェシエンヌのそれぞれの高台に囲まれたセーヌ渓谷で、その間をセーヌ河が幾重にも蛇行して流れ、緑滴る風光明媚な土地です。

 かつては王侯貴族の城館とセーヌに沿った小さな町の長閑な佇まいでしたが、1837年にパリのサンラザール駅からサンジェルマンアンレまで鉄道が開通してから、パリの一般市民の憩いの場所になりました。

そして、1869年の夏に、自然を愛し、水と自然の中の光の礼賛者だったクロード・モネが、まだ印象派という名前が生まれる前に、盟友のオーギュスト・ルノアールと共にシャトウに滞在して「ラ・グルヌイエール」という作品を完成しました。

こうして、この地は印象派の画家達の作品の舞台になってゆきました。
それではパリに近いところから順に見て行きましょう。

 ヌイイ橋の袂から北に2kmほどの細長い島、@グランド・ジャット島は、スーラの点描作品「グランド・ジャットの日曜日」の作品の舞台となりました。

1886年印象派最後の第8回展に出品され、パリに来たばかりのゴッホがこの絵をみて、これを機に彼の色彩が明るくなったと言われています。

その近くには、Aアニエール橋があり、ゴッホはこの袂にあった「レストラン・シレーヌ」を1887年に描いています。

 セーヌは蛇行してアルジャントゥイユに入ります。ここは、モネが1871年から住んだ場所で、B「アルジャントゥイユの鉄橋」や「アルジャントゥイユの橋」を描いています。

シスレーは「アルジャントゥイユの歩道橋」と「アルジャントゥイユのショセー通り」を描いています。

アルジャントイユのセーヌ河はヨットレースでも有名だったらしく、カイユボットやモネもその情景を描いています。
なお、これらの橋は第二次世界大戦中に連合軍によって破壊され、現在あるものは再建されたものです。

 隣のカリエールというセーヌ河沿いの町では、モネがC「カリエール、サンドニ」を描き、印象派ではありませんがブラマンクが「ル・ヴィラージュ」を描いています。


 (地図上の青色の番号は、下記記載の印象派絵画・史跡の現場を示す)


  シャトウ島はルノアールのD「舟遊びの昼食」が有名です。
今でもあるレストラン・フルネーズの2階のバルコンで、舟遊びする人々の昼食を描いたものです。


多くの画家達が、求めてやまなかったものをこの島に見出して集まってきました。また、後にはブラマンクとドランもここにやってきて、そのアトリエだった建物が今もこの近くにあります。

 シャトウ島は長い島で、ブージヴァルまでセーヌを二分するように続いています。
その北端の大広場は、今は骨董市、サーカスなどで、昔から市民の楽しみの場です。


 シャトウの南側にはクロワシイの町があり、ここのセーヌに当時、浮上カフェがあり、円形の人工島の周りで人々は水遊びに興じていました。

夏になると、水浴やボート遊びをする人々で賑わい、この場所がF「ラ・グルヌイエール」といわれ、いろんな作品に描かれています。今は何もなくモネの絵のパネルが立っているだけです。とてもとても当時の賑わいは想像つきません。
全く夢の跡としか言い様がありません。

 ここからブージヴァルまでもうすぐです。モネは島の南端にかかるブージヴァルへの橋の朝の光の中の景色を描きました。これが「ブージヴァル橋」です。
また、ここに住んでいたベルト・モリゾはモネの弟と結婚し、セーヌの川辺の作品を残しました。

 シスレーは、G「ブージヴァルの水門の船」を描いています。今も水門は当
時のままに存在し、ペニッシュがゆっくりと上下しています。



そして車が行き交う国道13号線のコンテの河岸のH「MASHINE DE MARLY」(吸水ポンプ場)の建物が近くに見えます。

かつてここには、ルイ14世の時代に作られた直径12mの水車14基あって大きな音を立てて回転して、セーヌの水を100m上のルーヴェシエンヌの貯水池に、長さ640m、高さ23mの水道橋を伝って送っていました。
この水がヴェルサイユやマルリーの宮殿やその噴水の水を一切まかなっていたのです。

 この水車のあったところから上を見上げると、高台の石垣を組んでせり出したところに、18世紀風のパヴィヨン(館)を見ることができます。
これが、ルーヴェシエンヌの、Iルイ15世の愛妾だったデュ・バリー夫人の音楽サロンが開かれた建物です。

これはJ隣接するデュ・バリー城のプレートです。
バリー伯爵夫人は1769− 1793年ここに住み、音楽館を建立した。
1793年4月22日永眠。

 他にも、この町にはいくつかの城館があって、その中には、マリーアントワネットの肖像画を数十枚も描いた女流画家のエリザベート・ピエルジュ・ルブラン夫人の
館や彼女がアトリエとして使った建物も現存しています。

そして、印象派の画家達、ピサロ、シスレー、ルノアール等が住んで多くの名画を残したゆかりの町でもあります。

 ピサロの有名な1872年に描かれたG「ボワザン村の入り口」は、ヴェルサイユ街道から少し入ったところにある現在のアヴェニュー・サンマルタンで描かれたものです。今も当時のままの風景が残っています。


道の反対側にシスレーの「マルリーの水道橋」のパネルがあります。

また、シスレーが、シュマン・ドラ・マシンのデュ・バリー夫人の城館の前か
ら描いたL「セーブル街道の眺め」も早春に行くと当時の絵のままの景色をみ
ることができます。

 ルノアールは、ヴェルサイユ街道からM「ルート・ド・ヴェルサイユ」を描き
ました。

 ピサロは、現在ある駅前からこの町のシンボルでもある水道橋の遠景をN「ル
ーヴェシエンヌの春」と題して描いています。


 その他数々の作品がここで描かれました。まさにこの辺りは名画のパネルがあちこちに何気なく立っていて、名画の宝庫と言えましょう。

 この水道橋を越えるとまもなくOマルリーロワです。
今回は今はなき広大な城の鳥かん図をご覧いただくことにします。

ここは、かつてルイ14世の別荘の城館があり、その前庭の噴水のある池に面
して、それぞれ左右に6軒ずつ12のパヴィヨンが建てられていました。


 ここも、シスレーの2点の冬の作品の舞台になり、偶然その一つを市役所の前
で見つけたことがあります。

 ピサロはP「マルリーロワの眺め」を描いています。

 この町の下には、セーヌ河に面して、ル・ポール・マルリーがあります。
この町では有名なシスレーのQ「ポール・マルリーの洪水」が1876年に2点描かれました。この絵のモデルになったカフェは今も当時のままの姿で現存し、感動的です。

 ピサロはR「ポール・マルリーの洗濯場」も残しています。(吉田画伯記)

 このようにこの界隈には、ルイ王朝以降の宮廷文化や芸術が点々と遺産として残っています。ジョセフィーヌの館、アレクサンドル・デュマのモンテクリスト伯の館、もうその先はルイ14世誕生のサンジェルマンアンレ城、枚挙に暇がありません。

時間に追われず、自分の足で一つずつ確かめ歴史や芸術の実地検証をする。そして、偶然、新しい発見をする。こんなに楽しいことはありません。

 次回は、観光案内の本には出てこない、画家の住んだ家、グルヌイエールの夢の跡、椿姫の舞台となったレストラン等々、実際に歩いて見て廻れる「ウオーキング」地図をいくつかに分けて掲載の予定です。(編集長記)