07-09-09

”パリに眠る英霊を訪ねて”

 モンパルナス墓地→カタコンブ無縁仏地下安置所→パンテオン神殿

 日本でなら、重陽の日、あまりのよいお天気に誘われて、パリのお墓と無縁仏安置所と英霊の眠るパンテオン神殿を半日かけて歩いてみた。
 
 今まで行かずに気になっていた3ヶ所で、とりわけパンテオンは、今、読みかけ中のレミゼラブルの文豪・ヴィクトル・ユーゴが眠っている。

モンパルナス墓地

 メトロE番線、エドガー・キネ下車、同通りを右の緑を見ながら2百mほど先のモンパルナス墓地の正門から入る。入り口の事務所で案内書を貰う。
 何人か知っている人の名があった。すぐ右、20区画の1にサルトルとボーボワールの簡素な白い石棺があった。

da070909cimet5w パリ市内名所旧跡にはこのパネルが立っている


 初秋の陽射しは暖かく少し暑いくらい。木立の向こうにパリで二番目に高いツールモンパルナスが見える。新しい高層駅ビルも見える。からっとしてさほど暗い感じはしない。
 そのまま広い通りから中央広場を左折しながら、有名人の墓を探す。

da070909cimet7w 背景のツールモンパルナスは、市内第2の高さだが、評判が悪い


 音楽家サンサース、モーパッサン、ボードレールなども見つけたが、興味薄いせいか感動はない。しかし、好きな人がみたらたまらないだろう。墓地を出るとき、墓守に二つ質問した。
 @いくつも石室があるが、棺桶はその地中に埋められいる。Aパリでは普通埋葬だが、火葬は20区のペール・ラシェーズ墓地で可能。

カタコンブ地下共同墓地

 そのまま、数百m歩いて、メトロ・ダンフェルロシュロー駅前のカタコンブという地下墓地の入り口に着く。
 3.5ユーロの入場券を買うのに、20ユーロ紙幣を出したら、6.5ユーロしかお釣りをくれない。ギッとにらんだら、アラッと言って10ユーロ札を慌てて出した。

da070909cimet14w カタコンブ入り口の説明書


 何の変哲もない小さな入り口だが、ひとりやっと歩ける螺旋階段を20mほど下りて水平な地下道さらに500mほど行くと、昔の石切り場の壁にびっしりと大腿骨や頭蓋骨の積み上げられた地下墓地に到達する。

da070909catcom20w 石切り場の地下道。昔、道に迷ってそのまま無縁仏になった


 その入り口の上に、"止まれ! ここが冥界だ"とある。あるある!!骨々々。大腿骨を薪木のように積み、その間に丸い頭蓋骨が首飾りの模様のように表面に埋め込まれている。
 なかには数個並んでこちらを睨んでいるのもある。思わず、ぞっとする。とにかく気味が悪い。何か怨念でもあるようだ。

da070909catcom24w この先が無縁仏の安置所になっている


 意外に感じたのは、頭蓋骨が小さいこと。最初、子供のかと思ったほどだが、すべてそうなので大人に間違いない。実際にはスイカ大ではなく、むしろメロン大だ。
 人のいない時に、積まれた骨の壁によりかかってみた。固い。そっと頭蓋骨に触ってみた。冷たい。

da070909catcom27w 長い年月で岩のように固く冷たい


 帰りは、雫の落ちる石の道をひとり歩くと、反響して何かきしむような水音がする。それが死者の呻き声のようにも聞こえる。600万柱は現パリ市民の3倍に当る。
 皆、18世紀末の都市計画でここに集めれた無縁仏なのだ。

da070909catcom31w 無縁仏とはいえ、頭骸骨の目を見ると感情が走る 



 このような慰霊・安置の方法もあるのだろうが、仏教の火葬、新教の"大地に帰る"土葬の方が自然で心休まる思いがした。だから、パリの墓地にはミイラがいて、いつでも会えると思うと、いつまでも追悼の未練が残り、過去を断ち切れない。

 螺旋階段を上って地上へ出たら、太陽がいっぱいで、二つ先のメトロのアレジア駅の近くだった。

da070909catcom53w 36番地が出口。突き当たり左がメトロ二つ先のアレジア駅


フランスの偉人・賢人73人の眠るパンテオン神殿

 600万柱の無縁仏を見て、人生の無常・はかなさをしみじみ感じた後、重々しく厳かに祀られた"国"の偉人たちの永遠に眠るパンテオン神殿へ行った。
 同じメトロC番線で戻り、サンミッシェル・ノートルダム駅下車、サンミッシェル大通りを上る。

da070909pante57w 様式はギリシャ神殿とアンバリッドの影響を受ける

 ルーブル美術館を"美"の宝庫とすれば、パンテオン神殿は"知"の象徴といえよう。
ルイ15世の命により、パリ守護聖女ジュヌヴィエーブを祀った教会を再建し、1789年に30年かけて完成した。

da070909panth62w 大ドーム直下には、フコーの地球の自転を示す振り子が動く


 その地下には、ボルテール、ルソーの哲学者から始まり、聞いたことのある軍人・政治家・科学者・文学者・作家が年代順にジャンル別に分類され、単独または相部屋に葬られている。
 とりわけ、今日の目的である文豪・ヴィクトル ユーゴは南西の廟棟にエミール・ゾラ、アレクサンドル・デュマと3人いっしょに入っている。

da070909panth88w 共同安置されている偉人の相対関係・評価の識別は難しい


 10平方mくらいの細長い廟の入り口左にユーゴ、右にゾラ、そして正面の窓の下にデュマの少し黄みかかった石棺が横たわっている。
 ユーゴの石棺の上には小さな一葉が置かれていたが、それがなんだかわからなかった。

da070909panth89w ゾラとは同時代、デュマの位置が興味深い


 83年の生涯のうち、19年間の亡命にも政治的信念を貫き、名作レミゼラブルを著し、セーヌ河畔の友人バクリ館で愛娘レオポルディーヌを舟遊びで失い、その波乱の生涯を思うと、この冷たい石棺に激しい熱情が伝わってくるようだ。

da070909panth85w 若い頃の写真は、その熱情が伝わってくるようだ


 73人の偉人・賢人の中でただ一人、死後直接ここに葬られたのはユーゴひとりだけである。まさしく、国民的英雄ともいえよう。
 以前、ここに葬られている偉人は26人と聞いていたが、今日実際にみて、明らかにそれより多いので、帰りがけショップで聞いたら、73人と教えてくれた。

da070909tomblibre1w 偉人・賢人に関する本はこれしかない


 その中には、レジスタンスでナチの拷問についに口を割ることなく死んだ英雄・ジャン ムラン、科学者キュリー夫妻、無名戦士など極めて異色の偉人がいる。

 国のために尽くした人は無数にいるが、このような形で祀られる偉人は、永久に生きて受け継がれてゆく。

da070909panth84w キュリー夫妻は仲良く上下2段に安置され、最も花束が多かった