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2008−04−20
パリのお花見―パリ南6kmソー城
一度でよいから桜花の下で、本格的な宴会をしたいと思っていたが、この度、パリ少年サッカーチームNSCの皆さんのご好意により悲願を成就することができた。
パリ南6kmの至近距離にあるソー城で満開の八重桜の下で、奇跡的に天候にも恵まれ、以下その報告記である。
080420sceaux plan w パリからの国道または高速道路
当会場?へは初めてで、花見の日本人が溢れていると聞かされ、典型的な日本方式の花見ではないかと内心びくびくだった。
パリからだとポルト・ド・オルレアンから国道N20で一本で30分で着く。オートルート太陽道路A6でもオルリー空港の手前を右折すればソー公園にぶつかる。
080420sceaux plan 1w 花見の場所、パーキング案内(NSC工藤氏作成)
ソー公園の西入り口・ハノーブル館の前で、パリ日本人会・マロニエ会のご老人たちが、雨のため帰ろうとしているところだった。近々お世話になることもあろうかと怖そうな諸先輩方に丁重にご挨拶しておいた。
今日の天気予報は午後雷鳴・豪雨で絶望的だったが、われわれの行いの良いせいか、以前ご紹介の "女心と春の空"
のとおり、雨もやんで陽も射してきた。
080420sceux25nw 雨上がりでマロニエの新緑がいっそう鮮やか
中に入ると鬱蒼とした森林公園で、遠く大運河中央の大噴水が白い塔のように見える。運河に沿ってまだ黄色っぽい新緑のポプラの並木が延々と続く。すべてベルサイユ宮殿ほどの規模はないが、無線操縦の船で遊んでいる父子がいた。
080420sceux32nw お花見広場
ここから左折すると、目を疑うばかりの八重桜のボスケ北広場がある。一雨あったせいか、宴会用の場所はまだ十分ある。
席とり用のブルーシートもなく、カラオケ騒音もなく、屋台の賑わいもない。いるのは数組のグループが楽しそうに八重の大木の下でピクニックの昼食を食べていただけである。
080420sceux41nw 雨よけシート持参で用意万端のグループ
080420sceux42nw フランスの並木は一定の高さまで太くし、剪定や接木で枝を増やす
080420sceux43nw 唯一の仏人グループ立ったままの人が多い。べったり座り込んで酒を酌み交わす方式でないとわれわれは落ち着かない。
080420sceux11cw 靴を脱いで、素足になるのもわれわれだ
その中にビール・酒・ワインのコップを立てると便利で重宝する。最近のTV消臭剤コマーシャルで、ファッションショーのモデルの靴が脱げると周囲の全員が気絶する強烈?なものがあったが、この方がもっと爽快?で受けるのではないか。
080420sceux61nw 各家庭が持ち寄る銘酒・名産物と日本のお弁当でたちまちご馳走の展覧会となる。
気分を出して、桜を愛で至福のときだ。子供たちは広い芝生で存分走り回っている。日本なら、即・球技厳禁のところだ。
080420sceux21cw 4時過ぎて満ち足りて眠くなってきた。
こちらの人は自己防衛の必要からも人前で眠ることはめったにないが、最近の通勤電車でわずかに見かけるようになった。
これも安全の証か、結構なことである。散歩中の仏人も珍しい光景に驚異の好奇心を隠しながら、無関心を装い静かにベンチに越しかけ眺めている。
080420sceux39cw NSCの皆さんと別れ、折角なのでソー城を見学することにした。
現在の城は1856年に再建されたものだ。
080420sceux50cw 最初の城は、1677年に落成
ルイ14世・太陽王の宮廷管長だったコルベールが造営、シャンゼリゼーを設計したル・ノートルに庭園を造営させ太陽王臨席の下に落成した。
その後、1685年にも太陽王とマントノン夫人が訪れ、さらに1700年には、モンテスパン夫人との準嫡子のデュ・メーヌ公爵に城は売却されたあとも、この息子が御気にいりの太陽王はしばしば訪れた。
当時の"ソー城の花火・照明"はベルサイユ・パリの上流社会の注目の的だった。
080420sceux30cw 帰りにお城から降りる"ホロホロ鳥のテラス"から運河を見下ろす。
大運河のその先のオルリー空港離発着の飛行機が見えた。
今回、ソー城はまったく初めてと意気込んできたが、ふとこの風景は30年前に見たものと同じであることを思い出した。しかし、誰とどうやってきたかはまったく思い出せなかった。しかし、やたら、”仏語のスペルは長いな”と感じたことをかすかに思い出した。
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