2008-05-07

ジャンバルジャン第二の隠れ家ピクピュス修道院探索

パリ市内東部ナシオン広場近くピクピュス



14.赤いJALホテルも今はNOVOTELに変わった


原本に出てくるボロンソー、ドロワミュール通り、ジャンロ袋小路の名前を当てはめた


1. 5月の太陽の下、セーヌ河沿いにエッフェル塔から、1827年、ジャンバルジャンとコゼットがジャベール刑事に追われ、第一の隠れ家のオピタルとおり50番地から逃げるときにオーステルリッツ橋を渡った。

 そして、
ナシオン広場から、ピクピュス通り・大通りがYの字に交差して逆台形となっている第二の隠れ家となった塀に囲まれた修道院の一角に着いた。(上記赤線内)


19.サンマンデ大通りの薬局、まずここで調べたがわからず


2. 早速サンマンデ大通りで(上記逆台形上辺)、通りがかりの地元の紳士に聞けと"全くわからず、あの角の薬屋へ行けいう。当地では、薬局が"きのこの判定"と同じく日本の"タバコ屋"に相当する機能を果たしている。

 薬局の女主に原本を繰り広げ説明に四苦八苦していると、居合わせた中年紳士が興味を示しいろいろ参考情報をくれた。


45.逆台形の下辺・サンテール通り側はロスチャイルド病院が再建中


 編集長がここと睨んだ逆台形の一辺の通りから袋小路に追い詰められ、"高い塀"を越えて修道院の敷地に入り、墓、墓守小屋、礼拝堂、鬱蒼たる木々が茂っていたとあるので、まず、"高い塀"が目安となる。(向こうに礼拝堂、墓地、深い木立が見える)
 
 薬局の中年紳士は、ちょうど逆台形底辺の一辺で現在工事中のサンテール通りには昔高い塀があったという。しかし、道路名の変更もあり、12区の区役所へ行けと教えてくれた。


44.右は修道院、左に10mの高い塀、中央・礼拝堂、その裏が広場・墓地・木立



3. 小説に出て来るもっともそれらしい"ドロワミュール通り"は、いまは"サンマンデ通り"で数階立ての古い建物が続き、わずかにその内側に教会の尖塔が見えるだけで、その他の手がかりは全くない。ピクピュス通りを左折するとその教会の小さな門があった。

 門番は中年の女性一人で中を覗くと、広い広場の左側が10m近い高いふるい石塀で、右手に数階建ての修道院があり、厳しさと威圧感を与える。


31.墓地の最奥には1793年の恐慌時代にナシオン広場でギロチンにかけられた王党派数十名の墓と米国独立戦争の立役者でもあってラファイエット仏将軍の立派な墓


 この教会の裏手が予想外の庭園と墓地になっていて、外部からは全く見えず、町中にこんな場所があるとは信じられない。


38.真昼でも人一人いない不気味な雰囲気が漂う


4. 庭園の奥は段々と木立が深まり、突き当りの塀には墓守が住んでいたような不気味な崩れかけた小屋があった。(上記45写真の木立)


34.ナシオン広場は目と鼻の先、処刑者の無念さが伝わってくる


 隣の墓地の最奥には1793年の恐慌時代にナシオン広場でギロチンにかけられた王党派数十名の墓が特別な囲いの中にあり、その手前にフランスの将軍で米国独立戦争の立役者でもあってラファイエット将軍の立派な墓があった。


42。この塀をコゼットを抱え、ロープで越えることが出来ようか


5. 修道院そのものも高い塀で囲まれその向こうには元寄宿舎のような建物も見える。外部から入れない修道院、礼拝堂、墓、墓守小屋、これらを仕切る高い塀等、一応ジャンバルジャンの第二の隠れ家の要素は揃っている。

 この逆台形の数百m四方の一角をその逃げ込んだ場所と認定したが、原本に出てくるボロンソー、ドロワミュール通り、ジャンロ袋小路の名前がないので断定はできない。再度12区の区役所へ行き調べる必要がある。


ピクピュス修道院.上記44写真の修道院建物と符合する


6. 1800年、前述の歴史的ピクピュス墓地の隣に御心修道会の修道院ができた。1820年には92名の司祭、150人の修道士、500人の修道女がいた大きな修道会だった。1840年には急に衰退した。

 当然、ビクトル・ユゴーの知るところであり、1827年、原作の舞台として、多少のフィクションを含めて登場してきたことは十分考えられることである。


8.メダール教会の前で、ジャベール刑事はジャンバルジャンを待ち受けていた


7. 帰途同じ道を通り、オーステルリッツからジャンバルジャンの第一の隠れ家のあった
オピタル通り50番地を通ったが、今はびっしりと建物が並びなんの手がかりも得られそうもない。

 ここから最寄の教会として、メダール広場のメダール教会がある。ちょうど
飲食店街として洒落たムフタール通りの出発点にあたる。


11,ジャンバルジャンコ小ゼットは、著者と同様、国民的英雄のようだ


 最初メダール通りの中華料理屋の夫婦に聞いたがわからず、目の前のムフタールのみやげ物屋のマダムを紹介してくれた。

 ジャベール刑事がメダール教会で乞食に変装して、ジャンバルジャンからお金を恵んでもらったことや、第一の隠れ家を追われる羽目となった話をこのマダムは良く知っていて、大変我々を驚き喜んでくれた。


15.若者の多いパリで最もパリらしい時と場所である


 すでに夜8時過ぎだが、初夏は明るくかつ暑い。ムフタール通りのカフェの店先は若い人たちで大賑わいであった。