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07-12-26
地中海・素潜り・第三の人生・終息の棲家・探索ドライブ
今回の地中海旅行は今夏の"黒寅さん初体験記"の別荘探しの延長版である。
パリの第二の人生の後、地中海沿岸の海辺の小屋で素潜り三昧の余生を送るのがわが第三の人生で、実際に海の別荘を探しに、パリからツーロンまでマイカーを列車(オートカー)で運んだ。
末娘と愚妻と年末の強い太陽を浴びながら、海に潜り、各国料理を楽しみながら、マルセイユからサントロペまでコートダズュールの紺碧海岸を行きつ戻りつした、その報告記である。

07―12―26火
19:00 パリ東のベルシー駅から南仏ツーロン駅までオートカーにマイカーを別の貨物専用列車で運んでくれる。
それとは別に乗客はセーヌ対岸のアウステルリッツ駅から深夜の寝台車で軍港で有名なツーロン駅まで行き、車をピックアップして、帰途も同じことを繰り返す。
F1:ベルシー駅発寝台夜行列車

老人割引で片道66ユーロ、車一台190ユーロだが、ホテルの宿泊代、長距離運転の苦痛を考えればはるかに楽で安い。
F2:寝台車6人部屋
21:00 駅前のレストランで祝杯を挙げ上機嫌で6人一部屋の3段ベッドの最上段と中段二つに潜りこむ。同室客は青年一人で、最初は気になるが慣れればどうということはない。
寝台車は初体験で寝袋状カバーに蚕のように入り込む。暑い。夜、熟睡は出来なかったが、いびきをかいていたというから結構眠っていたに違いない。
F3:ツーロン港の朝・国旗掲揚セレモニー
07―12―27水
6:00 乗客はまだ暗いツーロン駅に着くが、1998年製の愛車プジョー205は別の貨車での8:30着で、その間に駅のレストランで立派な朝食が出る。
早速、夜明け前のクリスマスの照明に輝く目抜き通りを抜けて軍港まで散歩する。広場にはクリスマス市が残っていて、豊かな軍港の雰囲気が漂う。
F4:下段最後から2台目が愛車プジョー205
9:00 昨夜最後に愛車を搬入したため、今朝は最後の取り出しとなり、出発が遅れた。海岸沿いに西へ60km、左手の山々は白い岩肌と南国の木々に覆われ、右手は地中海の紺碧の海が続く。ふと、30年前、亡き岳父と長女を乗せて、ルノー5でドライブしたことを思い出す。
目的地のカバレールの手前は、絶壁のくねくねしたとした狭いカーブの連続でスリル満点だが、夏のバカンスの混雑もなく、広い敷地の静かで豊かな別荘が山の上まで続いている。
F5:ブドゥ夫婦
10:00 カバレールの海用具店兼リシュ・ダイビングクラブのブドゥ父子に予めインターネットでアポを取ってあり、海の話を聞かせてくれと頼んである。10時ちょうどに店に着き、親父のフレデリックに会うが何の愛想も言わぬ生真面目な海の老人を思わせる。
自分は何もわからないから、海のことは15時に息子のイブが出勤するから、その時に聞いてくれと言われていたので、この村、観光協会、不動産業者など尋ねた。マダムも親切にいろいろ教えてくれて、魚の本3冊を30ユーロで買う。
F6:ヨットハーバー
12:00 海岸より1km引っ込んだ、今は滞在客のいない貸しマンションの並ぶ奥に、小ホテル・マヤがある。それでも今、混んでいてやっと3人部屋を73ユーロで見つけた。
中は小奇麗だが、シャワーだけだった。冬は別荘も店の大半も閉まっており、夏の賑やかさが偲ばれるが、本当は冬のほうが快適かもしれない。
港には何千というヨットが係留され、施設も整い、豊かさの象徴だ。潮は透明で、強い透き通った強い太陽光に反射して深い紺碧となる。
空もヒマラヤの空と同じ濃紺で、陽射しはまともに目を開けていられぬくらい強烈で、素肌には熱い。半袖になって桟橋を散策し、傍らのレストランのテラスでピッツアを食べる。
F7:シーフードのピッツアはうまい
F8:ブドゥの店で潜りの神様イブに会う
15:00 5分前に着くとすでに釣りのゴカイを買いに少年が一人いた。ヨットの滑車を買いに来た老人、贈り物にする天気予知の気圧計を買いにきた人、どんどんお客が来てゆっくり話が出来ない。
F9:リッシュ・ダイビングクラブ幹事のイブ
本職は潜りで15:00出勤とのことでまず、近場の素潜りのポイントを教えてもらう。2万5千分の1の海図(1cm=250m)のカバレールからその先の3岬(ラディエ、タイヤ、カマラ)、さらにサントロペの先まで、何箇所も惜しげもなく教えてくれる。
素潜りの装備でもオモリを入れると20kg近くなり、車から岩礁まで辿り着くのが大変なのでその配慮も必要だ。
F10:漁猟許可証を即代理発行してくれる
フランスの海はどこでも何でも獲り放題で、日本の"漁業権"のような忌まわしいものは存在しない。50ユーロ払うと他人への傷害保険込みで、即座にイブが代理・代行発行してくれて、写真は後で貼ればよいと極めておおらかだ。
上記3岬には自然保護地域が指定されているが、地上は進入禁止でも海中は自由と天国みたいなところだ。
2時間弱、根掘り葉掘りいろいろ質問した後、左手のラディエ岬まで実地検分に出かけてみた。岬手前2kmで車進入禁止、あとは海岸沿いの遊歩道となっていて、年末年始の滞留者が何人か歩いていた。
F11:ラディエ岬
07―12―28金
8:00 この日はサチコがリヨン留学時代の友人たちに会いに行くのに、ツーロン駅発10:00のTGVに乗らねばならぬという。まだ、マルセイユを見てないというので、11:30マルセイユ乗車の切符に変えて5ユーロの割戻しを受け、そのままマルセイユまで飛ばした。
F12:マルセイユ市内をノートルダム・ラガルドから見下ろす
F13:イフの監獄島も良く見える
F14:ノートルダム・ラガルド(守護神)
その昔から漁業の栄えたマルセイユの山上に、厳しい信仰のせいか町を見下ろす山頂に立派な寺院があり、奉納した"お札"があるところなど、日本の"金毘羅さん"と一緒だ。
ここからの360度の見晴らしは凄い。迷路のような狭い車道を抜けて無事11時にマルセイユ駅に着いた。この間、道に迷ったら、乗り遅れるという冷や汗の連続だった。
ところが列車は定刻になっても発車しない。ひとりの女性が閉まった扉を開けて乗ろうとしたりして頑張るがどうしても開かない。なんだかんだで30分も遅れて発車した。なんとなくのんびりし南仏の光景だ。
F15:TGV
13:00 マルセーユの手前数kmのところにカランクという湾が深く入り込んだ景勝地がある。そこにカシという、有名な食前酒と同じ名前の美港があって、切り立った湾(ミュウ、パン)沿いに昼食後の散歩をする。
F16:港の風景
F17:ミュウのヨットクラブ

狭い湾の奥に天然の理想のヨットハーバーがあり、桟橋が何kmも続いている。手入れをしているヨットクラブのメンバーに、型どおり、係留できる場所はないかと聴くととんでもないと驚かれた。
ここも別荘地帯だが、先のカバレールよりもっと高級な別荘が深い林の中に散在し、年代と伝統を感じさせられる。
F18:山上の別荘
第三の人生をのんびりと好きな海辺で過ごすべく、不動産屋をインターネットで何軒がしらべ、実際に当っても見たが、予算はいくらと聴かれ、恥ずかしながら10万ユーロと応えると、この辺はみんな百万ユーロ以上と気の毒そうに教えてくれる。
本音はもっと安い5万ユーロくらいの海の掘っ立て小屋を改造し、自分で内装するという発想である。
海辺は広く、山は高く、別荘小屋の土地はふんだんにあるのに、どうしてこんな発想の物件がないのか。周旋屋の商売にならずとも、根気良く探せば必ず見つかるというのが今回の感触である。夢は一旦壊れそうになったが、また別の夢が浮かんできた。
F19:マニュは昔、潜りのプロだった
19:00 カバレールの海岸通りにレストランが並んでいて、毎日フランス料理のご馳走を食べていると、どうしても和食か中華が恋しくなる。数十件の内、2―3軒の東洋系レストランがあり、その中に"串焼き"ちょうちんのかかった"ジャンク"という店に入った。
カウンターにはお客が2―3人いるだけで、誰もいない。マダムに得意は和食か中華かベトナムかと聞くと、自身なさそに"東洋系"だと答える。なるほど看板に偽りありで、串焼きも寿司もやっていないと先方より先に断りが来た。
なにやら、昔、店の主がフランスの海底電線ケーブル敷設工事でベトナムへ行った際に覚えた当南アジア系料理が得意らしい。
それでもそれらしいサラを2−3と青島ビールとロゼワインを注文する。席に付くと急に冷え込んできて、寒いというとマダムがガスストーブを二つ横につけてくれた。仏人好みの大味な甘辛料理だが、飲み物と良く合い堪能した。
最後まで、他の客は来なかったが、主のマニュが料理を作り終えるとやってきて、昔、潜りが本職で、今、レストランは趣味でやっているという。
先ほどのイブより、さらに近くのダティエという穴場を教えてもらい、最後には、店の食後酒を瓶ごと持ってきて、どんどん飲めという。お陰ですっかり出来上がってしまった。
F20:ジャンクの店、"串焼き"ちょうちんは飾り
07―12―29土
9:00 昨夜マニュに教わった通り、ツーロン方面の国道を左に降りると、猪を追う犬と狩人に出会う。狭い道でUターンが出来ないと言われたとおり、すぐに進入禁止の交通標識がでて来た。
海まで歩くことは出来ないので、標識を無視してダチエにたどり着く。民家が2―3軒あるだけでその角をさらに降りるのは心配だったのでそのまま再度標識を無視してとうとう行き止まりのレイヨルに着いた。
どうしたものかと思案していると、親切で上品な別荘夫人が通りかかり、海岸へ降りる隠れた階段を教えてくれた。20kgの装備を引いて50mほど降りる。
F21:車止めから、秘密の階段を見つける。さあ、潜るぞ!

F22:レイヨルの岩場、潮の透明度は数十m、うには腐るほどいた

まだ、日の出直後で寒く冷たい。6mmのウェットスーツを着易いようにベビーパウダーをまぶし素早く着込む。一時間ほどしか余裕がないので、あわびをはがすイソガネだけ持って海中に入る。ノルマンディーと違って暖かい。
水温18℃位か。丁度うにの解禁期でいくらでも採れたがわかっているので手を出さず、代わりに赤なまこ二つと名前のわからない2枚貝を採った。
魚は小さく、アワビももっと時間をかければ必ず獲れそうだ。あとは海底で最も白く輝く小石二つをスカリに入れて記念の土産とした。
F23:夢中で潜る、PCトップページ用写真

やがて日も射してきて急に周囲が明るく輝き出した。海から見上げる山も綺麗だ。PCの画面を飾る写真も数枚撮ってもらい、これで今回は思い残すことはない。
F24:レイヨルの写真、やっとお日様が出て来た。

12:00 ホテルは一度チェックアウトしたが、午前中ならOKとのことで、シャワーを浴びさせてもらった。チップを払おうとしても受け取らず、皆、頑固だ。
マニュに報告のため"ジャンク"へ行ったが、夜しか開けないらしく、数件隣のスリランカ料理店でカレーの激辛を楽しむ。うまかった。その後、ホテルのオヤジに教えてもらった夏の四つ星キャンピング場四ヶ所廻った。1ヵ月700ユーロだから高くはない。
F25:スリランカ料理、カバレール海岸のレストラン通り
F26:エスカレ海岸、今夏の賑わいはない
15:00までに、教えてもらったダイビングスポットを3ヶ所見なければならぬ。まず最初は今夏"黒寅さん"と行ったエスカレ海岸を少し戻ったタイヤ岬。車止めの先は、昨年の大山火事で無残に焦げた跡が残っていて不気味だ。
その先に優雅な岬が見えたが途中で引き返す。
F27:タイヤ岬 昨年の山火事で広範囲が焼けた
F28:カマラ岬 黄色の壁も現地特産
15:00 次は灯台のあるカマラ岬。山の斜面の濃い樹林帯を1−2km降りねばならぬ。とても装備を持って歩けぬので、途中見晴らしのよいところで引き返す。
F29:岬の突端は潮通しがよさそうでアワビが沢山いるに違いない
F30:サラン海岸、海中の小さな海草が打ち上げられ、木屑のようだ
16:00 一旦、かの有名なサントロペの村に出て、さらに右の奥へ入る。この村には鉄道がなく、車だけが交通手段だ。その突端のサランまで行くと、そこが岩場でイブが教えてくれた通り、簡単に潜れて便利だ。
風除けの石垣の陰で老夫婦が横になって夕陽を浴びている。これで今回予定・計画した素潜りの場所はすべて見て回った。イブやマニュのお陰で100パーセント目的を達することが出来た。お礼に写真を大きく引き伸ばして送ることにしよう。
F31:サントロペ港 無数のヨットが係留された最高の避暑地
30年前、ここのコンクールで特賞をとった画家の絵をサンジェルマンの町で買ったことがある。港を一巡したが、駅のない避暑地だけに車が溢れていた。日が落ちると急に暗くなるが、ツーロンまではもう何回も通ったので心配はない。
19:00 ツーロン駅でオートカーに乗せて、繁華街の中華料理のファーストフード店に入った。ショーウィンドの中に刺身の寿司とキリンビールがあったので迷わずこれを選ぶ。ところがやはり米の味は今ひとつだったが文句は言えない。
10:30発の夜行列車まで、異なる9つもの映画が同時上映されている宮殿のような映画館に入り、フランスのコメディー映画をフランスの映画館で初めて観た。
F32:ツーロンの映画館 7ユーロ、ここでも老人割引がある
帰りの夜行寝台車の同室にはすでに老夫妻が下段に若い女性が上段に寝ていた。そっと挨拶をしてそのまま翌朝の6時までぐっすりと眠ることが出来た。
べルシーの駅レストランでゆっくり朝食を食べ、アウステルリッツ駅まで特別バスで行こうとしたら、日曜日の早朝で?まだ運転手が来ていないので、普通の市内バスで行ってくれと切符をくれた。
9:00に愛車を引き取り、まだ眠っているシャンゼリゼーを抜けて、サンジェルマンの朝市で新鮮な刺身用の鯛を買い、我がアパルトマンに着いたのは11時過ぎだった。
パリ郊外の生活を第二の人生とすれば、海辺の小屋で素潜りを余生として過ごすという浮世離れした第三の人生を夢見て、その下見調査が今回の小旅行だった。
別荘地の大邸宅はとてもムリとしても、海の見える山の天辺や暖かい島に渡ればそれが出来そうなことがわかった。
ナポレオンの生まれたコルシカ島も近くにある。今年の夏が楽しみになってきた。
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