2008−12−25

クリスマス、元旦気分でサクレクール・ノートルダム初詣?

 12月25日、クリスマス祭日の朝、快晴で気分爽快、日本の元日と錯覚を起こし、パリのモンマルトルのサクレクール寺院と、シテ島のノートルダム寺院に初詣?に出かけることにした。パリのクリスマス当日の様子を実際に見るためである。

A1 サンタさん ここから入っての歓迎のしるし


 前の高層アパートのテラスには、サンタが贈り物を届けて帰るところかのように、サンタの人形がかけてあったが、これは子供達がサンタに来てもらう目印の入り口を示す願いが込められている。


A2 凱旋門・グランダルメ大通りのガラガラ


A3 パリ外周道路もスキスキ


A4 モンマルトルの丘に上るのは結構きつい


A5 シャンソニエ”ラパン・アジール” 中は煤とヤニで真っ黒


 モンマルトルの丘には、今日は裏から上ることにした。車を降りて、メトロ・ラマルク―ゴランクール駅への長い石段を登り、200m程行くとシャンソニエ"ラパンアジール"がある。今朝まで大騒ぎしていたのだろう、いまは嘘のように静まり返り、昔、ピカソらの貧乏画家がたむろしていた安酒場だったところだ。


A6 モンマルトル美術館。私生児ユトリロと母スザンヌ・ヴァラドンの住処。


A7 バジリカ聖堂・サクレクール、キリストの御心に捧げられた


A8 内陣円天井・キリスト像


 ユトリロとその母スザンヌ・ヴァラドンの住んでいた、今はモンマルトル美術館を過ぎると、ロマネスク・ビザンチン様式のサクレクール寺院の尖塔が見えてくる。普仏戦争の兵士とパリコミュンの市民の死者を悼み、1876から1919年に建てられた。正面外から見て、上がキリスト像、右下がジャンヌダルク像で、中に入ると厳かにミサをやっていた。


A9 右前方には、フニキュレール(ケーブルカー)もある

 
 緊張から開放されて、外に出ると冬の陽射しが強く眩しい。直下にパリを見渡すことができる。直径10数kmの範囲に3百万人もいない。パンテオンやノートルダム寺院もすぐそこに見える。景色に見とれて、集団スリに遭った人もいるので要注意だ。


A10 ここの絵描で故郷に御殿を建てた人もいると聞く


 久しぶりにテルトル(通称、絵描の)広場を覗くと、まだ混雑はなく、嘗ての独特な雰囲気は薄れ、似顔絵描きが観光客を誘うのが目に付いた。


A11 これが教区のサンピエール寺院


A12 日向は南国、日陰は北極


 ここの教区教会のあるサンピエール広場のカフェで早めの昼食をとった。座った時は陽が一杯に当り気持ちよかったが、やがて低い太陽が前の建物に隠れると途端にしんしんと冷えて、ギャルソンの忠告どおりだった。外は0℃前後だろう。


A13 左角がメゾン ド ローズ。右手がブドウ畑とラパン・アジール


 また来た道を戻ると、ユトリロの生まれた、今はレストラン"メゾン ド ローズ"ある。1870年パリコミュンが始まる頃、当時5才の天才・異才少女・スザンヌ ヴァラドンがモンマルトルにやってきた。

 13才でお針子、サーカスで挫折、ルノアールらの画家のモデル、そして自らのデッサンが認められ、1883年、19才で私生児ユトリロを生み、さらには、ロートレックや、息子の友人・サティやユッテル、金持ちのラパンアジール仲間のムージスらと奔放な交わりを続ける間に、息子ユトリロはアルコール中毒になってしまうが、その豊かな才能はしっかりと母スザンヌから受け継いでいたのだ。


A14 この細い道に小型バスが通る。バス停”ブドウ畑前”


 サクレクールから僅か100m足らずの間の通りに繰り広げられたパリの庶民と画家達の人生だが、目の前に唯一現存するブドウ畑は、この一部始終を見て見ざるがごとく、知って知らざるがことく、じっと冬の寒風と霜に耐えていた。


A15 セーヌ河の古本屋もやっと一軒開いていた


A16 大クリスマスツリーがなければ、普段の日曜日と変わらない


 13:00からのノートルダム寺院のミサに急ごう。途中、セーヌ河の古本屋(ブキニスト)も閑散としている。ノートルダム広場には、クリスマスを祝う大きなツリーと既に入場の長い行列ができていた。聞き耳を立てると、大半が外国人か旅行者であることがわかる。


A17 西のバラ窓。1215年完成で3つのバラ窓の中で最古。中心に聖母子像。


 中に入ると、ひときわ鮮やかステンドグラスの暗闇のなかで、パイプオルガンの演奏と神父の朗詠が重々しく数百年変わらず響き渡っていた。パリの最重要宗教建築、中世ゴシック芸術の最高傑作として、1163年着工後、完成まで200年かかった。


A18 ノートルダムの身廊から内陣を望む


 昨夜のご馳走と夜更かしのせいか、熱心な信者は身廊の中央だけで、その両側は空席で、その周りを大勢の観光客がぞろぞろと歩き、遠慮なしにフラッシュをたいて写真を撮っていた。


A19 ノートルダムはここからが最も美しいといわれる


A20 パリの最高級住宅街・サンルイ島、ノートルダムのシテ島とサンルイ橋で繋がる


A21 可愛い男の子はラッパを吹くマネをしていた


 外に出ると冬の太陽は半日ももたない。サンルイ橋を渡り、サンルイ島に入る頃には、すっかり陽は翳ってしまった。ルイフィリップ橋を3才くらいの元気な男の子が父親と一緒に大声で歌を歌って渡っていた。


A22 季節折々の催し物でパリっ子を喜ばせる


 やがてパリ市庁舎前を通ると、ちょうど年末・年始の市民の遊び場ができていた。市庁舎前広場が特設アイススケートリンクとなり、大勢の老若男女が楽しそうに滑っていた。柵の外から一人の夫人に聞いたら、入場無料、貸し靴5ユーロとのこと、実はこの夫人も米国訛りの外国人だった。


A23 どこの遊園地にも必ずマネージュがある。子供の人気ものだ。


 お祭りや子供達には欠かせないメリーゴーランド(マネージュ)は、無料で大勢の子供に開放されていた。いつ見ても、夢一杯の楽しい光景だった。しかし、モンマルトルやサクレクール、ノートルダムといった名所は、今は完全に観光地化され、肝心のパリ市民の姿はあまり見ることが出来ず、寂しい気もした。

 街並みがきれいに整備され、国際化とともに、個性が薄れつつあり、一昔前のシャンゼリーの歩きにくい凸凹の石畳、あのメトロのチーズの饐えたような匂い、トイレ臭が反って懐かしく感じられるくらいだった。