| | 1514年 | アングレームのフランソワ(後のフランソワ1世)とルイ12世の娘クロードゥが結婚。 |
| | 1519年 | アンリ2世の結婚。 |
| | 1547年 | 7月、<ジャルナックの一撃>と呼ばれる裁判上の決闘が、アンリ2世の面前で宮廷で行われた。ジャルナックのギー・シャボが、ラ・シャテーヌレの領主フランソワ・ド・ヴィヴォンヌに立ち向かい、会心の一撃を与え勝利した。 |
| | 1563年 | シャルル9世(1550年、サン・ジェルマンで生誕)の勅令により、フランスにおける1年の始まりは、1月1日となる。 |
| | 1570年 |
8月、<サン・ジェルマンの平和条約>のサインによって宗教戦争が終結。 |
| | 1638年 | 9月5日、ルイ14世が新城で誕生。後の太陽王が洗礼を受けた昔の小聖堂が、今日、パヴィヨン・アンリ・キャトルの史跡サロンとして残っている。 |
| | 1643年 | 5月14日、サン・ヴァンサン・ド・ポールの擁護者、ルイ13世が42歳で死去。 |
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1648-1653年に断続的に起きたフランス貴族による反王権的反乱、フロンドの乱により、ルイ14世は3度も入城を拒まれた。
しかし彼の長い即位の間には、大きなイベントが新城でいくつも行われた: グランド・ドーファンの洗礼、ブロワ嬢とコンティ家の王子の結婚、ニメーグ条約の締結、トルコ大使たちとのレセプション・・・。宴会の席では、リュリやキノーの叙情的な音楽劇、モリエールの喜劇やバレーがいくつも演じられた。 | |
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| 1679年 | 2月21日、ルイ14世・オーストリア皇帝・スウェーデン王・ブランデンブルグの選挙人との取り決めが締結し、ついでニメーグ条約の名の元に、同年6月29日に<王子たち間>の取り決めが締結、その他多くの外交決議が、ルイ14世のもとサン・ジェルマンで行われた。 |
| 1682年 | 王宮のヴェルサイユへの遷都により、サン・ジェルマン城はルイ14世とその宮廷から見離される。特に旧城は、ルイ14世がいとこであったイギリスのジャック2世に鍵を預けるまで、長い間見捨てられていた。
ジャック2世は、スコットランド王ジャック7世の時にオランジュのギヨームに負け、フランスに追放され、失墜した彼は1701年に死去するまで家族とともに旧城に住み、その後サン・ジェルマン教会に埋葬されている。失墜したジャック2世の味方であったジェームス(ジャック)2世党の影響下、サン・ジェルマン・アン・レの街は新時代を迎え、とりわけヨーロッパにおける政治活動の中心となっていった。 |
| - | ルイ14世は、サン・ジェルマン・アン・レの街に水を運ぶための大改造をさせ、新城を弟のアルトワ伯に与えた。アルトワ伯は、城をもっと近代的なものにするため取り壊させた。
一方、旧城の運命は時と共に政治体制と共に次々と変わっていった。革命時には牢獄として使われ(恐怖時代にルージュ・ド・リールが幽閉)、執政官政治の時には病院に、帝政時代は騎兵隊学校(後、ルイ18世によってソーミュールに移された)に、王政復古時代には兵舎に、そして7月の君主政治の時には軍隊式の少年院に、、と言った具合であった。 |
| 1811年 | カンパン夫人によって、ロージュにレジオンドヌール教育の家が設立された。 |
| 1837年 | 8月24日、旅客用の鉄道が初めて"パリサンジェルマン"開通。この出来事は、街に大いなる新風を吹き込んだ。鉄道は、ペックが終着駅だった。 |
| 1855年 | 8月、パリを訪れたヴィクトリア女王がジャック2世の墓に詣でることを望まれた。この出来事は、サン・ジェルマン城を忘却から救い出してくれた。これにより、ガリア時代の考古学を好んだナポレオン3世は、城をガロ・ロマン時代の博物館にすることを決意、1867年5月12日に国立考古学博物館として開館。 |
| 1871年 | グランド・サンチュールに鉄道が開通。しかし1939年5月に閉鎖。 |
| 1919年 | 9月10日、オーストリアとオーストリア・ハンガリーの壁を取り除く平和条約がサン・ジェルマンで締結。 |
| 1940-
1944年 | ドイツの参謀本部がパビヨン・アンリ・キャトル一帯に置かれ、たくさんのドイツ兵が街にあふれた。ヴォン・ルンデステッド大将により参謀本部に指令が出て、ドイツ軍のイギリス上陸作戦が開始される。サン・ジェルマンには、オランダからビアリッツまでドイツ軍の指揮をしたObWeatの本拠があった。 |
| 1944年 | 8月25日から27日にかけて、サン・ジェルマン・アン・レの開放。 |
| 1962年 | 副県庁ができ街は急速に発展する。 |
| 1972年 | 当時の最新の交通機関であったRERが開通。 |
| 1989年-
現在 | 街にケーブルが入り<<イブリン・プルミエール>>というケーブルテレビが開始、1999年の終わりにはケーブルによるインターネット化が行われるなど近代化が進む。 |